「自分の事しか考えなくていい社会」の崩壊2011-06-03 Fri 07:07
私も含め人は、危険な場所、危険な人には近づかないし、避けようとする。このことは生存を続けるための知恵と思えます。同様に、嫌なこと・辛いことは、避けようとする。もっと極端にいえば、見ようとしないが「見えない」に、聞こうしないが「聞こえない」このような反応は、精神安定上必要なのかも知れません。
国民年金の加入義務については、マスコミを通して告知しているのを視聴者は知っている。また、市役所に国民健康保険の加入に行けば、必ず国民年金の加入の有無を問われる。当然に年金事務所に行けば溢れんばかりの広報が準備されている。なのに国民年金の加入率が低下しているのはなぜなのでしょう。 健康体である若い人は、自分が近いうちに死亡すること、障害になることなどを前提に生活をしてはいません。そして問題なのは、自分が年金受給をして生活している場面が想像できないことにあると思えます。 人は、心のどこかで自分は不死身で死ぬとは考えなし、いつまでも若いと思っている。現実を直視できない、もしくは直視したくない。 そして そのような人に老後は、ある日「突然」にやって来る。 国も国民年金の加入は、国民の義務ですから広報を通して公知をしていますが、それ以上に努力をしているのが民間の保険会社といえます。 民間の保険は、公的保険の補完をするが主たる目的ですが、彼らの説明では、主たる保険になってしまいます。主従が逆転しているようにも受取れます。公的保険制度の理解不足が国民年金の未納率を上げる原因の一つといえそうです。 営利が目的である保険会社は、公的年金 を横に置いておいて熱心に自社の商品を推奨するでしょう。 公益が目的である国に、同様な努力を求めても、限られた人員のなかで行うわけですから出来ない相談と言えそうです。 つづく スポンサーサイト
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