『自分の事しか考えなくていい社会」の崩壊2012-05-14 Mon 07:04
義務と常識
医療費の増大を懸念するある識者の弁。もし、高齢化の進展とともに、医療における公的負担を大きくしていくのであれば、日本でも「病気」の定義を本気でしなければいけない。さらに制度の悪用、あるいは便乗という抜け道をふさぐ工夫をもっときめ細かくする必要がある。 もっとも、本当の「病気」とそうでないものとの見極めが、電話1本でできるのかという疑問もあるだろう。おそらく、電話1本では見極められないケースもあると思う。グレーゾーンのところで、不幸になるケースも出てくるに違いない。 しかしそれでも、何をもって「病気」とするのか、どういう場合には救急車を呼ぶべきなのか、という線引きをしていかないと、お金がいくらあっても足らない。 もちろん義務教育の課程でこうしたことを教えていくことが必要になる。権利だけはしっかり教え、義務と常識の教育が欠けている。それが社会コスト増大の大きな原因である、と私は考えている。 日本では、まず「病気」の定義に関する議論が必要である。その上で、財政危機を避けるためにも、70歳から75歳までの人は、現在、激変緩和措置として1割とされ、平成25年4月1日以降2割とされるが、支払能力のある人はもっと応分の負担をしてもらう。そうしなければ、日本の財政がもたなくなるのは目に見えている。 と述べている。 つづく スポンサーサイト
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