晴耕雨読2013-02-11 Mon 07:18
江戸時代の大阪は日本の経済の中心で天下の台所といわれた。徳川幕府は、そもそも経済にはあまり重点を置かなかったようで大阪に任せたとも見える。明治に入ると中央集権国家になり一極に権利が東京に集中し大阪の凋落が始まる。そのころ司馬遼太郎の祖父は、今の兵庫県赤石市に住まいを得ていたと記憶している。当時当地は、「菜種油」の産地で春になると菜の花が一斉に咲き大阪湾を往来する樽回船、北前舟に乗る船夫らはこれからの航海を前にひと時の癒しを得たであろうと想像する。
『菜の花の沖』司馬遼太郎 スポンサーサイト
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